君の怒りに祝福を/君の痛みに花束を
本日5月2日、新橋演舞場の『滝沢歌舞伎ZERO2021』夜公演に入る予定でした。
「一部公演中止」の知らせを受けてからこの日を迎えるまでに思ったこと。
現実を現実として受け止めて、向き合っていくことが、これから先もわたしが彼らを推し”続けて”いくために不可欠な一歩であると信じて、ここに書き留めます。
先に言っておきます。これは【解決】ではなく、【諦め】に近いのかもしれません。そういう話です。
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結論から言うと、中止公表後の数日で得られたものは「エンタメはつまるところ商業でしかない」という事実、ただそれだけだったように感じたということ。
検討の余地もないままに決定された振替・延期なし(これは時代柄仕方ない、と言えばそれまで)。
中止前最後の公演内での中止に関する挨拶、その後のお見送りやお手振り。
webブログや動画内での言葉たち。
少なくとも私にとっては、そのどれもが中止を突きつけられた人間をやんわりと突き放すかのように感じられてしまった。
「滝沢歌舞伎は止まりません」
「仕方ない」
「笑って乗り越えよう」
悲しむことも、泣くことも、悔しい気持ちも、すべて流されてしまったら、私たちの気持ちはどこへゆくのか。
中止の事実よりなにより、そのことが私はひどくつらかった。
だけど、”そんなこと”は『滝沢歌舞伎ZERO2021』にとっては全く関係がない。
そもそも、彼らにとっての「ファンのみんな」は大きな一つの概念でしかない。我々ファンの存在は、売り上げや再生数等、結果として見える数字に拠るものだ。(J事務所は規模が大きいので尚更その色が強いと思う)
そんな中で、彼らがファンの存在を”一個人として”見出せる瞬間は「同じ空間を共有する時=顔を合わせること」だけなのだと私は考えている。
今回の公演で言えば、
初日の幕が上がって「ファンのみんな(その公演に入っていた人を指す)」の顔を見た瞬間に涙が出そうになった(雑誌インタビューより、意訳)のだろうし、
’21の幕は下ろさないという思いを込めて「ファンのみんな(同様)」をお見送りしたのだろうし、
きっとまた公演が再開したら『「ファンのみんな(同様)」にまた会うことができて嬉しい』と言うのかな〜と(これはわたしが超勝手に)思っている。
公演が始まった今、その目に映っているのはあくまで「目の前にいる観客」だけだ。
だって、エンタメはビジネスだから。
結局、利益が発生するか否かが全てを握る世界だ。
悲しいけれど、信じたくないけれど、それが事実だ。
ステージに立つ彼らにそこまで冷たい意識はないだろう(そう願いたい)けれど、上演の根底にある運営にとってはそれが全てだから、演者含めカンパニー全体としてその考えが主軸になるのは致し方ないことだと思う。
だから、究極的に(本当に、至って究極的に)言えば、
公演中止=利益が発生しない=利益を生まない客に用はない。
商業においては真っ当な考え方だろう。それはエンタメを続けるためには避けられない道で、こんな危機的な状況なら尚更だ。
わたしはぐるぐると悩んだ末にここに至り、ああ、もうこの現実を受け止めるしかないんだなと悟った。
彼らの使命は「上演を続行すること」で、我々の気持ちだなんだがそこに介入する余地は、きっとない。
こんな状況でなければ、『滝沢歌舞伎ZERO』というカンパニーがこんなにも悲しい決断や対応をすることはなかったはずだ。彼らも望んでこの決断を下したわけじゃない。
演者や会場のスケジュールや利益損失等々のことを考えると現時点でもうリスケは難しいと、断定せざるを得なかったのかもしれない。
「もしかしたら」すら言えない、こちらに少しでも希望を持たせるような言い方は決してできないような状況なのかもしれない。
(全て憶測ではあるけど、)わかる。全部全部、痛いほど分かる。
でも、だからこそ、つらい。
私が信じたエンタメの、行き着く先はこれだったのか。前述の通り、今回の決断・対応は彼らにとって当然の選択だったと思う。
だから、これはきっとエンタメの幻想なんぞを信じた私の負け、ということにしておこうと思います。
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◎5/9配信上演が決まったあとに考えたこと
(急に語り口調で、我ながらウケます)
前述の通り「エンタメは商業」論に脳を支配された私は、配信すると聞いて真っ先にこの中止期間の損失のことを思った........................(こんなオタクいる?)
公演中止期間も演舞場の借用料は払ってるだろうし、それに加えてチケット返金は相当痛手なんだろうな...と勝手に察して勝手に胃が痛くなっている...................(こんなオタクはいないと思う)
遠方住みで来られない方やその他来場予定がなかった人も観られると踏めば、なんとかまかなえそう...なんだろうか....頑張れ....わたしは観れませんが......(すみません...)
にしても配信への対応早すぎて、事務所の底力を感じてしまいましたね
去年 無観客配信した舞台の運営に携わっていたので色々と事情は察するのですが、生の舞台→配信への切り替えはマ~~~~~~~~~~~~~ジで大変なはず。
舞台装置の諸々を配信仕様に総取っ替えしなきゃいけない。上演形態そのものが変わるということは、そもそも新しい企画としてほぼゼロから立て直さないといけない、ということ。これだけでも製作陣の負担は本当に計り知れない...でもやらないと収益は見込めないし...
ここからあんまり滝沢歌舞伎そのものとは関係ない話します。現在のエンタメについて広く言及しています。全~~~~~然飛ばしてヨロシ。
今回の対応から考えても、やっぱり昨今の現場の限界を感じざるをえない。
あくまでわたし個人としての考えですが、やはり「配信は生のパフォーマンスの代替には決してなり得ない」と思います。
お国は何か勘違いしているようですが、配信設備を整えるだけでも金銭的にも身体的にも当初の倍以上の負担を要します(実体験に基づく)。
気軽に「はい、配信に切り替えればいいだけの話でしょ」で済むような話では断じて、ない。
ファンとして、オタクとしての感情はさておき(さておくまでにマジで時間かかりますが)、今回の件はこの国のエンタメや文化の追いやられ具合に本当に考えさせられるきっかけになったなと思ってます。
(だからと言って「中止になったからこそ得られたこと✨」などと言えるほど強靭ではない、あたしのオタク心)
一日数万ですべてを丸め込もうとする方もいらっしゃれば、寄席を”よせき”と読む方もいらっしゃる(官房長官ですよ、信じられますか?)。
私たちが本当に戦うべきは憎き新型ウイルスであって、こんな人たちじゃないはず。
常に懐疑の目を持ち、自分が信じたものを守り抜くための判断と行動をしたいです。
いやはや、その前にわたしの心が折れるか。
オタク戦士諸君、強い気持ちでこの時代を生き抜いていきましょうね。
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何を信じたらいいんだか分かんない毎日が続きますね。塞がりそうにない穴にはいい感じのなんかを塗ってしのいでおいて、テキト〜に明るい未来でも祈っておきましょう。と言い聞かせておきます。
私にも貴方にも、どうか全てが報われる春が来ますように。
最後に、保身っぽくなりますが、これはあくまで私がたどり着いた一つの結論ですので、あしからず。
読んでくれている貴方の気持ちにはどうか一ミリも干渉しないことを願います。もしちょっとでも腑に落ちるきっかけになれたのなら、それはそれで良し。
そんであっけらかんと話しておりますが、ぜんッッッッぜん心の整理ついてなくて、ウケます ウケるしかない
あ〜どうにかこうにかして振替決まらないかな〜こちらはいくらでも払いますし、何億光年でも待ちますんで、何卒よろしくお願いしま〜す(クソデカ願望)
以上。ここまで読んでくれた貴方はわたしと非常に気が合います。
新しい明日の話をしよう
迎えた2021年1月22日。
Snow Man デビュー1周年。
どんな言葉を贈ろうかと考えて、書いて、考えて、書いて、
“1周年”の重みに圧倒されたわたしはそこにあったすべての文字を消した。
そのたった3文字に、この日に至るまでの全てが詰め込まれているという漠然とした事実。
わたしが1年前のあの日から積み重ねてきた日々の想いが急に質量を持ったような感覚がした。その日々を語るに足る言葉がわたしには到底思いつかなかった。
誰がどう見ても激動のデビューイヤーだったと思う。
大きく形を変えた時代のなかで、とてつもないスピードで歩みを進める彼らは眩しかった。
嬉しいことは数えきれなくらいあった、悔しいことだって、あった。
節目を迎えて思うことは、結局、ここまで歩んできた道のりがすべてだということで。
これが、Snow Manのデビューイヤーだった、振り返って今立っている場所まで、見えているものが答えだと思う。
時間、思い、残ったもの、積み重ねてきたことだけが本当の世界なのだと思います。
だから、こうして1月22日という1日に【これまで】を刻んでいく。そしてまた次の1月22日を目印に歩き出す。
こうして時間を重ねて、想いを重ねて、また新しい1年に踏み出すことのスケールの大きさを、全部全部が大事な一歩ずつであることを、私は何年経っても忘れたくないなと思う。
時を重ねることの美しさと尊さが、どうかこの先も失われませんようにと願いながら。
また明日も、新しい明日の話をしよう。
Snow Man デビュー1周年、本当におめでとう☺︎
2021 0122
「時は来た」雪解け水のその先を見つめる君の横に並んで
Snow Manデビューコンサート”Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.”に思いを馳せて
"デビューコンサート"とわたしの話。
何年経ってもこの熱量を保存しておくために、ここに残します。
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今年入って、大きな仕事に関わることになってプライベートが余裕なくなるくらい忙しくて!
ずっとしんどかったけど、なんと2D.2D.当選して(私にとってはじめてのスノ現場!)、それが本当に本当に嬉しくって、会えるって事実だけで生きていけるような気がしてた。
仕事で埋まってるスケジュール帳に、何よりも目立つように色を付けたライブの予定。何度も何度も確認して。
会える日のためだけにひたすらこなしていく毎日。
そんな中発表された、ツアー中止のお知らせ。
心がぽっきり折れてしまった。何のために毎日頑張ってるんだろうって、ただひたすら思って、どうしようもないまま時間だけ過ぎてく。
オンラインでの配信が決まった時も正直少し残念な気持ちだった。やっぱり、”会う”ことのエネルギーには勝てない気がしてて。(あと、はじめての当選の事実が真っ白に消えたのも結構キツかったな)
それに加えて、忙しさに拍車がかかったこともあって、めっきりこころが弱ってしまって。活動も全然追えないし。追いかけることに割くパワーが足りなくて、何のために好きでいるのかな、なんて考えたり、
ずっとずっと割り切れないまま始まったデビューコンサート。
そりゃもう、始まっちゃえば楽しくて、嬉しくて。
彼らが生きていて、歌って、踊って、ステージに立ってくれるだけでどれだけ幸せなことなんだろう。
悲しさや寂しさが埋まることはないけれど、これはこれでよかったのかもな、と思って。
諦めにも近い気持ちを抱えたまま迎えたライブ3日目。
6公演目の渡辺翔太さんの挨拶。そして、渡辺さんの言葉を皮切りに溢れ出すメンバーの本音。
長い長いJr.時代を経てやっと掴み取ったデビューコンサートが無観客での開催、悔しくないはずがない。
けど、それでも、泣き言ひとつ言わずにどんな形であれ、実施する道を選んでくれた彼らに、「会えないのが辛いです」なんて言うべきではないとずっとずっと思ってた。
けど、悔しいも悲しいも、なかったことにしなくていいんだって、彼らの言葉は、そんな風にわたしの中の消化しきれなかった気持ちまで全て掬って、抱き止めてくれたようだった。
彼らの想いが言葉に乗って、熱を持って、間違いなく画面越しの私の元まで届いたこと。
それだけで、ここまでの日々を許せる気がしている。
そしてオーラスの佐久間大介さんの挨拶。
毎公演ハケ際に「会おう!」と繰り返してくれた佐久間さん。
最後の最後の挨拶、「生きてたら絶対に会えるから」。
私が一番欲しかった言葉はきっとこれだったんだ。あたたかい涙が止まらなかった。
”絶対”なんてないけれど、いくつもの不可能を倒してきた貴方の言葉だ。そんな貴方の”絶対”を私は信じようと思う。
どんなにしんどくても、寂しくてもこの言葉があれば大丈夫な気がしています。明日へと繋ぐエナジーをくれて、本当に、本当にありがとう。
ありったけのありがとうをきみに。
紛れもなく、貴方達のために、私は、今日も明日も明後日も、命を燃やしていく。
最後に、デビューコンサート完走、本当におめでとうございます!
すべてはここから。
そして、願わくは次はもっと近くで熱を分け合えたら。
また、生きて会いましょう!
2020 1026